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堀井 秀之
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研究活動 > 安全安心のための社会技術

安全安心のための社会技術
堀井秀之 (東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻)


人々が求める安全安心

  近年、安全安心が様々な分野で流行っている。“安全”ではなく、“安全安心”が強く求められているということは、一体何を意味しているのであろうか。これは単なる流行なのであろうか、それとも本質的な流れなのであろうか。

  マズローの有名な欲求階層説では、人々の持っている欲求は階層的に五段階に分られる。すなわち、「生存のための生理的欲求」「安全欲求」「帰属意識・愛情の欲求」「尊敬されたいという欲求」、「自己実現の欲求」という階層で、低次元の欲求が満たされてはじめて高次元の欲求へと移行するとされている。その中で「安全の欲求」は下から二番目という、かなり基本的なところに位置づけられた欲求になっている。安全欲求の内容は、苦痛とか恐怖、不安、危険を避けて、安定・依存を求める欲求であり、言葉としては安全を使っているが、これはわれわれがふだん安心という言葉で表わしていることにかなり近い。安心を達成するということは、人々の欲求の中ではかなり基本的なことだということがわかる。

  大量生産・大量消費の時代であった20世紀においては、ひたすら経済的価値が追い求められてきた。物質的欲求がある程度満たされた現在、人々はより精神的な欲求の充足を求めているのであろう。その一つが安心である。

  工学はいままで安全ということに取り組んできたが、必ずしも安心ということを正面から取り上げてきたわけではない。そのために、特に安心ということを取り扱う必要性が高まっている。安全と安心は同じものではなく、安全を確保しても、必ずしも安心が得られるわけではない。安心とは何か、どうしたら安心が達成されるのか、といった基本的な問いに答えることが出来なければ、安心対策を講ずることは出来ない。

  安全、安心という言葉の使われ方を調べてみると、安心は主観的な概念として、すなわち「誰々の安心」という使い方がされる。安心できるような状態と安心できないような状態があって、どのような状態が安心できる状態かというのは、必ずしも明確ではない。安全というのは、科学的基準に基づくもので、安心は安全をもとにした主観的な感覚を保障しようとするものと理解できる。

  酒井ら(2003)は、言語連想法により、「安全」「安心」という言葉から連想する事柄とその理由を自由記述させ、下の図のように分類した。



図1 安全安心のイメージ


  「安全」は自分が置かれた場所の状況、モノやしくみを利用した対策によって身の回りに危険のない状態や危険から身を守るために備えている状態ととらえられている。一方、「安心」は自分の行為や他者との相互関係によって心が落ち着き安定する状態や頼りになる存在がある状態ととらえられている。「安全」と「安心」のイメージは大きく異なり、安全であれば安心が達成される、という訳ではないことが示唆されている。

  安全安心を達成するためには、安全のためにこれまで構築してきた工学的な枠組みでは不十分である。安心を取り扱う心理学的なアプローチが必要なことは当然であるが、それを包含したもう少し大きな、そして新しい枠組みが必要となろう。近年、社会問題解決の舞台に登場し、著しい成果を挙げつつある社会技術研究はそのような枠組みを提供するものと期待される。

社会技術とは

  社会技術とは社会問題を解決し、社会を円滑に運営するための広い意味での技術である。ここで技術とは、工学的な技術だけでなくて、法・経済制度、社会規範など、全ての社会システムを含んだものである。産業のための技術が産業技術であるとすれば、社会のための技術が社会技術であるということができる。

  科学技術の成果と社会制度をうまく組み合わせて、社会問題を解決するところにこのアプローチの特徴がある。科学技術の成果と社会制度をうまく組み合わせることによって産み出される問題解決策を社会技術と呼ぶ。社会問題の解決のために、活用できる知を総動員する文理協働に社会技術研究の特色が現れている。(社会技術については、拙著「問題解決のための『社会技術』」、中公新書、2004年3月を参照されたい。)

  社会技術に係わる研究開発プログラムのトップバッターは(独)科学技術振興機構、社会技術研究開発センターにおけるミッション・プログラムT「安全性に係わる社会問題解決のための知識体系の構築」(研究統括:小宮山宏【平成13年7月〜平成17年2月】、堀井秀之【平成17年3月〜】、活動期間:平成13〜17年度)である。ミッション・プログラムIの目標は以下の三項目である。
  1. 安全に係わる社会問題を解決するための社会技術を開発する。
  2. そのために必要となる知識基盤を構築する。
  3. 社会技術を開発するための一般的方法論を構築する。
  これらの目標を達成するために、図2に示す研究体制を採っている。安全に係わる領域をカバーするグループ、分野横断的グループ、さらに全体を取りまとめる総括研究グループからなり、この他、食の安全に関する研究者も所属する。多様な分野の研究者・実務者が協働し、社会問題の解決にあたる体制がとられているのである。安全性に係わる社会問題として共通性をもつにもかかわらずこれまで比較検討されることのなかった領域を並べ、さらに横断的グループでクロスオーバーを図っているところに特長がある。類似する領域間で共通性・特殊性を発見することは、安全で安心な社会を実現するための普遍的な方法論構築に役立つだけでなく、各領域にも刺激を与え内部システムの革新を促すことにもつながる。


図2 ミッション・プログラムTの研究体制


俯瞰的アプローチ

  研究の方法としては俯瞰的アプローチを採用した。俯瞰的アプローチには次の3つの側面がある。
  1. 問題の政治的側面、経済的側面、社会的側面など、特定の視点に限ることなく、問題を全体的に捉える(図3)。このために、問題の全体像を把握する技術を開発した。

  2. 問題解決に用いる知識として、法学、経済学、工学、社会学など、特定の学問領域における知識に限ることなく、活用できる知識を総動員する(図4)。活用できる知識を総動員して問題解決にあたることは、社会技術研究の理念の一つだ。科学技術と社会制度をうまく組み合わせて有効な問題解決策を開発するというコンセプトを実現するためには、文理協働が不可欠である。

  3. 問題解決策として、原子力安全、地震防災、交通安全など、特定の問題分野における対策に限ることなく、分野を超えた知見を活用する(図5)。新しい問題分野では、対策の実績が少なく、問題解決の方針が立てにくいため、有効な対策の方向性を示すことが重要となる。それを模索する上で、類似の分野での有効な対策がヒントとなる。既存の問題分野では、長年にわたって問題解決の努力を積み重ねてきており、やれることはすべてやってきたともいえる。そのような状況において、類似の分野で行われている対策を適用することにより、革新的な解決策を生み出すことができるかもしれない。また、ある問題分野で成功した解決策が見つかった場合、それを他の分野に適用することにより、波及効果が得られることも考えられる。


図3 問題の全体像の把握


図4 活用できる知識の総動員


図5 分野を超えた知見の活用


社会技術の事例:津波災害総合シナリオ・シミュレータ

  ミッション・プログラムTの成果の一例を紹介しよう。津波災害総合シナリオ・シミュレータ(群馬大学片田敏孝教授開発)は、各種シナリオ想定に基づき地域住民への災害情報の伝達状況や住民の避難状況、そして津波の氾濫状況を統合化して表現することができる。また、地理情報システムをベースに開発されており、地震発生からの時間経過ごとに変化する避難住民の分布と津波の発生状況を解析し、人的被害や物的な経済被害を予測することが可能である。本シミュレータが持つこのような機能は、津波災害の総合的な防災計画の策定を支援するツールとして活用できる。また、本シミュレータは、図6に示すように結果をアニメーションとして表示するため、津波氾濫の範囲や速度、迅速な避難による人的被害の削減効果などを視覚的に分かり易く説明できる防災教育コンテンツとしても活用されている。

  現在二地域の自治体においてシステムが適用されている。また、両自治体では、システムを活用した地域住民向けの防災講演会や説明会が多数実施されている。また、インターネットを通してシミュレータを利用できる「動く津波ハザードマップ」が公開中である。本事例はシミュレーション技術と防災計画・防災教育を組み合わせた問題解決策であり、科学技術の成果と社会制度をうまく組み合わせた社会技術の典型的な例である。


図6 尾鷲市「動く津波ハザードマップ」


ミッション・プログラムTの成果

  ミッション・プログラムTの成果は「安全安心のための社会技術」(堀井秀之編、東京大学出版会、平成18年1月)にまとめられている。ミッション・プログラムTの研究活動を通じて、「社会技術」の姿が具体的に見えるようになった。開発された問題解決のための技術を既存の問題解決策と比較すると、いつくかの特徴が見出される。

  開発された社会技術は、リスク認知の低さや、価値・権利の衝突に起因する問題など、これまで解決の取り組みがあまりなされてこなかったタイプの社会問題を対象にしている。また、その解決の方法には、情報技術を駆使した現象の解明、潜在的被害者に対する知識提供など、既存の問題解決策にはあまり見受けられない解決メカニズムが採用されている。それが優位性を表していることを証明するためには、時間が必要だが、開発された社会技術が解決策として新規性を有していることは確認することができた。このような解決策としての新規性は、問題の全体像を捉える、科学技術と社会制度を組み合わせる、分野を超えて知見を活用するという俯瞰的アプローチの効用に基づいている。

  社会問題の解決策は長い年月をかけて改善を繰り返してきたものばかりである。そのような努力にも係わらず、完全なる解決が難しく、残されてきたのが現存する多くの社会問題である。そのような社会問題に対して、新しい観点から解決策を開発し、5年間で問題解決に至るべきだと考えるのには無理があろう。今後、開発された社会技術と既存の問題解決策との比較分析をさらに進め、社会技術の優位性を確認する作業を続けるとともに、開発された社会技術の実装のための活動を継続的に行って行くことが重要である。プログラムは終了したが、築かれた人的ネットワークを活用することにより、様々な形態で研究開発・社会実装活動を継続したい。


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