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堀井 秀之
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研究活動 > 安全・安心な社会をどう構築するか

安全・安心な社会をどう構築するか
堀井秀之 (東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻)


人々が求める安全安心

  近年、安全安心が様々な分野で流行っている。“安全”ではなく、“安全安心”が強く求められているということは、一体何を意味しているのであろうか。

  工学はいままで安全ということに取り組んできたが、必ずしも安心ということを正面から取り上げてきたわけではない。そのために、特に安心ということを取り扱う必要性が高まっている。安全と安心は同じものではなく、安全を確保しても、必ずしも安心が得られるわけではない。安心とは何か、どうしたら安心が達成されるのか、といった基本的な問いに答えることが出来なければ、安心対策を講ずることは出来ない。

  安全、安心という言葉の使われ方を調べてみると、安心は主観的な概念として、すなわち「誰々の安心」という使い方がされる。安心できるような状態と安心できないような状態があって、どのような状態が安心できる状態かというのは、必ずしも明確ではない。安全というのは、科学的基準に基づくもので、安心は安全をもとにした主観的な感覚を保障しようとするものと理解できる。

  酒井ら(2003)は、言語連想法により、「安全」「安心」という言葉から連想する事柄とその理由を自由記述させ、下の図のように分類した。


図1 安全安心のイメージ


  「安全」は自分が置かれた場所の状況、モノやしくみを利用した対策によって身の回りに危険のない状態や危険から身を守るために備えている状態ととらえられている。一方、「安心」は自分の行為や他者との相互関係によって心が落ち着き安定する状態や頼りになる存在がある状態ととらえられている。「安全」と「安心」のイメージは大きく異なり、安全であれば安心が達成される、という訳ではないことが示唆されている。

  安全安心を達成するためには、安全のためにこれまで構築してきた工学的な枠組みでは不十分である。安心を取り扱う心理学的なアプローチにより、安心をモデル化することが必要である。山崎、吉川、堀井(2004)は、鳥インフルエンザに関する不安の喚起や低減が生じる過程を説明する不安喚起モデルを開発した。そのモデルによれば、喚起された不安を低減するためには、信頼できる人や組織の存在が重要な役割を果たす。その指示に従って対処したり、自らの安全を託すことによって安心を得ることができる。信頼できる人や組織が見つからない場合には、リスクを一方的に拒絶したり、自分には関係ないこととして考えることを止めてしまうなど、非合理的な行動がとられることとなる。


不安・不信の飛び火

  BSE問題、SARS問題、食品偽装問題、耐震偽装問題など、社会の安全安心を脅かす事件が跡を絶たない。安全安心に係わる事業の多くにとって、一連の事態は全く状況も異なり、異質の事象であろうが、不安、不信の飛び火の可能性があり、対岸の火事としてやり過ごすことはできない。むしろ、安全安心に対する社会の感度が変質してきており、安全安心に係わる全ての事業者が社会変化に対応することが必要となって来ていると認識するべきではなかろうか。

  2002年の食品パニックは、そのような社会変化を象徴している。2001年9月に日本でBSEに感染の疑いがある牛が発見されたことによって大きな社会的不安・不信が喚起された後、同年10月に報道が沈静化された。その後に、2002年1月の雪印食品牛肉偽装事件に端を発して、各種食品偽装の発覚、無認可香料事件、残留農薬問題等が次々に社会的不安を巻き起こした。必ずしも食の安全とは関係のない問題までもが取り上げられ、「全ての食品が信じられない」という食品パニックに至ってしまった。これは、社会的不安不信の増幅、飛び火によって、社会的に非合理的な行動がとられたという点において、現代社会に対する看過することのできない教訓を残した。

  事業者が適切な安全対策を実施していればそれでいい、そんな時代は過ぎ去ってしまった。怒れる社会とどのように付き合い、社会的不安不信の増幅とその結果として生じる非合理的な社会行動を防げばいいのだろうか。これに失敗すれば、事業者の実施している安全対策の実態や努力・誠意が社会に認められず、一方的な社会からの批判に身をさらし、合理的とは考えられない対策を講じることによって社会からの批判をかわすような事態に陥ってしまうであろう。

社会的信頼メカニズム

  そのような事態を避けるためには、社会的信頼メカニズムを構築し、信頼に基づく社会運営を実現することが必要である。そのためには、事業者が適切な安全対策を実施するだけでなく、そのことを社会が認知すること、その結果として社会が事業者を信頼すること、さらに、社会が事業者を信頼していることが事業者、及び、事業者の構成員に認知されること、社会から信頼されることが事業者、及び、事業者の構成員にとって真の価値として内在化されること、そして、そのことによって適切な安全対策が実施されるという一連のサイクルが回り、好循環が起こるという社会的信頼メカニズムを構築することが重要である。


図2 社会的信頼メカニズム


  これまで、社会的不安を解消するために、人々は行政による規制・監視を求めてきた。しかし、行政の規制・監視により安全安心を達成するのは、安全対策の実態と照らして適切な方策だとは言い難い。行財政改革の流れの中で、規制・監視のための技術力やリソースを行政が確保することは今後ますます難しくなろう。性悪説に基づく規制・監視メカニズムではなく、性善説に基づく社会的信頼メカニズムを機能させてゆくことが効率的な社会運営につながると考えられる。

社会技術という考え方

  社会的信頼メカニズムを構築するために、社会技術という考え方が有効である。社会技術とは、社会問題の解決や効率的な社会運営などの社会的価値を実現するための広い意味での技術である。法システムや保険制度、社会規範などの社会システムを社会的技術としてとらえ、工学的技術と社会的技術をうまく組み合わせることによって、最適なシステム技術を開発するところに社会技術の特長がある。

  社会的信頼メカニズムを構築する上で、その前提として求められるのは、事業者による適切な安全対策の実施である。多くの事業においては、長年にわたる安全対策の努力と実績の蓄積がある。しかし、安全対策の実施には常に投入可能な安全対策費用の制約が科せられている。適切な安全対策とは、限られた安全対策費用を最適配分し、最も効率的に安全対策を実施することを意味する。そのように適切な安全対策を実施する技術が必要である。

  次に、事業者に対する社会的信頼を構築するためには、どのような安全対策が実施されているのかが社会にとって認知されなければならない。単に安全対策に関する情報が公開されているだけでなく、その情報の適切性、信頼性を担保する技術が求められる。さらに、事業者や事業者の構成員にとって、事業者に対する社会的信頼が認知されるようにする技術も必要となろう。

  最後に、社会から信頼されることが、事業者や事業者の構成員にとって価値として内在化されなければならない。価値内在化の技術によって、社会から信頼されることが目標となり、社会からの信頼を保つために安全対策をより熱心に行うことにつながる。このように、一連のサイクルを回すことによって、信頼に基づく安全安心社会が実現する。社会的信頼メカニズムとは、このサイクルを回すための社会技術である。上に述べた様々な技術を組み合わせることによって、初めて社会的信頼メカニズムが機能するようになる。

  最近の食品偽装表示問題などに象徴されるように、社会は大きく変化しつつある。蓄積し、爆発する社会の「怒り」は、社会の非合理的な行動を誘発する。事態を冷静に分析し、合理的な行動を選択できる社会にすることが課題である。そのためには、社会技術という考え方を導入し、社会的信頼を構築する「技術」を開発することが必要である。

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