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堀井 秀之
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研究活動 > 安全安心とは何か

安全安心とは何か:社会技術としての信頼づくりを
堀井秀之 (東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻)


  近年、安全安心が大きな関心を集めている。“安全”ではなく、“安全安心”が強く求められているということは、一体何を意味しているのであろうか。

  米国の心理学者、マスローの欲求階層説によれば、人々の持っている欲求は、生存のための生理欲求、安全欲求、帰属意識・愛情の欲求、尊敬されたいという欲求、自己実現の欲求という五段階に分られ、低次元の欲求が満たされてはじめて高次元の欲求へと移行する。安全欲求は、苦痛とか恐怖、不安、危険を避けて、安定・依存を求める欲求であり、安心という言葉で表わしていることにかなり近い。生存のための生理欲求が満たされた次に求めるものが安心なのである。

  安全は、科学的基準に基づく客観的な概念であるのに対して、安心は安全をもとにした感覚を保障しようとする主観的な概念である。安全、安心という言葉のイメージに関する既往の研究によれば、安全という言葉からは危険がない状態に関する言葉が多く連想されるのに対して、安心という言葉からは「家族」などの頼る存在がある状態や、「人と一緒」などの心が落ち着く状態に関する言葉が連想される。安全と安心のイメージはかなり異なっており、安全であるからといって安心できるわけではない。

  安全が脅かされるというような情報に接すると、不安が喚起され、人は心の不安定な状態を解消しようとする。情報を収集することが可能で、その情報を理解する能力が備わっている場合には、情報の内容や質を吟味し、自分には危害が及ばないことを確認したり、どのように振舞えば危害を避けることができるかを判断することにより、安心することができる。

  しかし、自ら不安を解消することは容易ではない。自ら不安を解消することが出来ない場合には、人は信頼できる人や組織を探索する。信頼できる人や組織が見つかった場合には、その指示に従ったり、自らの安全を託すことにより、安心が達成される。

  信頼できる人や組織を見つけることができない場合には、合理的な検討を放棄し、危害を及ぼす可能性があると思われるものを拒絶する。遺伝子組み換え食品や原子力発電所に対する拒否反応は、このような拒絶の例であろう。拒絶することができない場合、あるいは、それを受け入れることによるメリットが大きい場合には、自分には危害が及ばないと思いこんだり、宿命として諦めることにより、不安から逃れることになる。飛行機に搭乗したり、不安を感じながら牛丼を食べるときの心境を思い起こせば、このような心理的な過程は理解できよう。

  社会の多くの人々が同じ原因により不安を抱く社会的不安は、時として非合理的な対策を要求する。社会的不安を解消するための過剰な安全対策は社会的な損失につながる。BSE対策の全頭検査については、その合理性について議論があったが、安心対策として意味があったという解釈もあろうし、他の適切な安心対策をとることができたとすれば、より合理的な安全対策を講じることによって社会的コストを低減することができたのかもしれない。

  危害を及ぼす全ての要因に対して、その発生頻度や被害規模をゼロにすることは出来ない。絶対安全はあり得ないことを受け入れなければならない。発生頻度は低いが、一度危機が発生した時には大きな被害が予想されるような要因に対しては、危機が発生した時に適切な対応をとることにより、被害を最小限に留めるための備えを講じておくことが課題となる。社会として冷静に危機に対処するためには、社会的不安の発生を抑え、その増幅を防ぐことが極めて重要である。

  人が不安を解消し、安心を達成する過程を調べてみると、信頼が大きな役割を果たすことが分かる。社会的不安を抑制し、合理的な社会的対応を可能とするためには、社会的信頼を構築することが最も有効である。例えば、安全を担う事業者に社会的信頼があれば、無用な不安を避けることができ、また、事業者が社会的信頼を得ることを最高位の行動規範とすることは、安全活動の徹底や、安全に関わる情報の公開を促す。このような、“社会技術”と呼ぶべき安全安心社会の実現のための仕組みを構築することが重要である。

(初出:毎日新聞2007年3月26日夕刊)
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