LaLiga Lab のイノベーションの源泉

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スペイン訪問の初日に、大きな勘違いをしてスペインに来たことに気づきました。日本のJETROのようなスペイン貿易投資庁(ICEX)を訪問しGeneral Directorのイサック・マーチン氏と面談しました。大変聡明で有能な方で、私たちからの資料を事前に十二分に読み込まれておられ、i.schoolの理念や、社会技術の概念を完璧に理解しておられました。あまりに完璧な理解をお話し下さったので、何もこちらから説明する必要がないと感じたほどです。スペイン人、スペイン社会に対する理解を問われたので、スペイン訪問の理由と、日本では失敗を恐れ、リスクをとらない人が多く、失敗から立ち直ることが難しい社会であると説明したところ、それはまさにスペインの状況であると説明され、大きな勘違いに気づいた次第です。

そもそもスペインに関心を持ったきっかけは、日本の建設業の国際展開の方向性を考え始めたことにあります。私は2000年頃から国際プロジェクトコースというのを立ち上げ、国際社会で活躍する人を育てることを標榜して教育研究を行ってきました。日本の建設業が国際展開をより促進するために何が必要なのかを明らかにするため、スペインの建設業に関心を持つようになりました。国際市場での売り上げ高トップ50社にスペインの建設・エンジニアリング会社が7社入っています。

1975年にフランコ将軍の死去により独裁体制が終了し、スペイン王国は制限君主制国家となり、1986年にはヨーロッパ共同体(現在の欧州連合)に加入しました。1990年代には金融業、通信、鉄道、そして建設業もラテンアメリカに進出し、2000年代にはラテンアメリカでの経験を生かして、事業をグローバル展開しています。旧宗主国としてのつながりや強み、言語的バリアがないことが有利に作用しているのは当然ですが、それ以外にも理由があるはずだと考えました。リスクを取ってチャレンジする精神がスペインの人々にはあるのではないかと思いました。

うちにスペインから留学しているD君は、明るい性格で何事にも前向きで、典型的なスペイン人だと思い込んでいました。しかし、そうではなくて、彼は例外的なスペイン人だったということです。スペイン貿易投資庁(ICEX)を訪問しGeneral Director は、大多数のスペイン人は失敗を恐れ、リスクをとろうとしないのだけれど、チャレンジング精神に富んだスペイン人もなかに居ると仰っておられました。D君はそのようなチャレンジング精神に富んだ例外的なスペイン人なのでしょう。

さて、スペインのフットボールリーグの LaLiga Lab は、イノベーションを次々に生み出す、非常にチャレンジングな組織であることは前回の投稿でご紹介しました。LaLiga Lab のイノベーションの源泉について私の仮説を紹介しましょう。

Director of Strategic Projects at Laliga であり、 founder of LaLiga Lab である Nacho こと Ignacio M. Trujillo氏がLaLiga Lab のイノベーションの源泉であると思います。パッションに溢れチャレンジング精神に充ち満ちた Nacho が LaLiga Lab をリードしています。スペインのフットボールリーグのJAVIER TEBAS MEDRANO会長がリーグの改革の必要性を強く認識し、人を探すなかで Nacho氏が会長に自分のやりたいことをプレゼンし、その考えに会長が賛同し、彼の考えを実行できるように LaLiga Lab を設置したというのが経緯です。どうして Nacho氏はそのようなチャレンジング精神を持ち続けることができたのか、しつこく質問を繰り返してしまいましたが、Nacho氏曰く、父親の影響だそうです。父親が「自分の考えを大切にして、思った通りにやれ」というアドバイスをするような方であったことが大きかったそうです。

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スペインは失業率が24%という状況ですが、それでも社会の不安定性につながっていないのは、家庭の影響が大きいのだそうです。職の得られない子供を両親が養うことで問題が表面化しないとか。その家族制度や家庭環境が、多くの場合で失敗を恐れリスクを避ける傾向につながっているのかもしれません。

スペイン社会と日本社会には失敗を恐れ、リスクを取ろうとしないという共通性があると思います。イノベーションを必要としている点も共通です。

日本では、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれ、年間出生数が260万人を超えていた団塊の世代が現在の日本社会の状況に大きく影響していると思います。彼らは高校時代に東京オリンピックを経験し、高度成長のなかで成長しました。多くが学生運動に関わり、1969年の東大紛争の敗北を20~22歳で経験しました。反体制を謳った活動の躓きを経て体制を受け入れて就職しました。

第2次、第3次産業の発達に伴って雇用者は継続的に増加し、サラリーマン化が進行してきました。団塊の世代の多くはサラリーマンとなり、年功序列、終身雇用が一般的だった時代を過ごし、これらの制度の下では上下関係や組織への忠誠心が重要視され、円滑な技能継承や離職率を低く抑える等、様々な面でうまく機能していました。1971年から1974年までのベビーブームに生まれた団塊ジュニアはそのような経験を経た団塊の世代を両親とした家庭で育てられた訳です。

Salaryman
http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/06/dl/1-1c.pdf
平成18年版厚生労働白書

スペインのように数は多くはないかもしれませんがチャレンジング精神を持った若者が育つ環境が日本には存在しているのでしょうか。このように考えると、共通性を有するスペインと日本には大きな差があるのかもしれません。個性を大切にする環境、チャレンジング精神を持った若者を評価し、見守る社会にすることが日本の課題のように思えます。私自身は「自ら省みて直くんば、千万人といえども我行かん」という孟子の言葉をいつか、どこかで習ったのですが、今でも教えられているのでしょうか。「空気を読む」、「出る釘は打たれる」、こういう概念がスペインにも有るのかどうか、調べてみたいと思います。

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